日進市(愛知)の花火大会
2011 / 09 / 20 ( Tue ) 17:30:00
またもや、放射性物質の関連で、問題が発生しました。
愛知県の日進市での花火大会で、復興応援のための福島県の花火を使うプログラムを急遽取りやめて、他の花火に差し替えたと言うことです。

このニュースを聞き、いろんな方々が、いろんなとらえ方をしたと思います。

花火は、昨年、作られた物であり、室内で保管されていた。
放射性物質がついていたとしても、花火の外側にごくわずか。
あるか、ないか。(ただ、線量計で測ったわけではなく、推定の話)
そしてそれが、花火として空気で拡散された場合の放射性物質の濃度は、まったく問題ない。
風評被害だと、各社の新聞には大きく書かれている。
(風評被害という言い方は、嫌いなので、また、時間を作って書けたらと思います。)
過剰反応しすぎなのかもしれない。

しかし、相手は放射性物質。
ほんのわずかであっても、蓄積されていくもの。
(半減期の長い放射性物質は、こういう事が繰り返されると、半減する速度が緩やかすぎるため、結局、蓄積されるという意味)
だから、ゼロかごくわずかか というと、ゼロであるべきものである。
NDつまり不検出であっても、検出出来ないレベルであって、ゼロである保証はない。

全く相反する意見だが、お互いの気持ちが、理解出来る。


それほど、今回の原子力発電所の事故は大きなもので、簡単に語ることは出来ないと思うのです。

どこまで心配したら、そして、どこまで許容しても大丈夫なのかの真実を知っている人はいるのだろうか・・・。
誰も経験したことがないことで、学術的な推定での話だったりなど、意見は錯綜している。



ついこの前、今年の夏、大きな問題となった、京都の五山の送り火の件。
あのときも、いろんな意見が飛びましたよね。
そして、受け入れたものをいったん返して。
そしたら、世論が高まって、また受け入れて。
結局、放射性物質が検出されて、また戻すという事態。
多くの方が、涙をこぼされました。


今回の日進市の花火大会に携わった方々。
市長を初めとして、商工会のみなさま。
五山の送り火の問題は、これだけの問題になったのだから、ご存じのはず。
では、花火を受け入れるときも、市民からいろんな意見があがる可能性は考えられたのではないかと思いました。
そんなこと、想定範囲内ではなかったのでしょうか。
今回の花火大会も、ホームページなどで広報したりしていたらしいですから、市民の意見を聞くようなページを作っても良かったと思います。
商工会や、市役所に、そう言う投書箱を作っても良かったと思います。

人間は、いろんな意見があるのだから、反対意見が出るのは当然のこと。
みんなが同じ意見になんか、なりっこない。
それで良いと思う。

今回、反対派の中での多くの意見として、『放射性物質の検査を。』と言うことだったようです。
結局、あわてて検査しようと思っても、準備が間に合わず検査が出来ないから、打ち上げを中止したという始末。

反対者の意見をすべて聞けと言っているわけでないです。
そんなの無理。
しかし、直前で、『検査をしたかったが、間に合わなかったから中止した。』と言うのであれば、もう少し、市民に耳を傾けていたら、そんな準備も、早くから出来たはず。

反対者の中でも、「検査をして、不検出になったら、花火を上げても良いよ。」と思った方も、多かったかもしれない。
もしくは、しっかり、市民を納得させることが出来るくらいの説明が出来るか。
福島の花火工場さんに期待させて、花火を準備してもらって、こんな結末とは。。。



過去にも同じような事例があったにもかかわらず、予想能力があまりにも乏しくて、それで、準備出来なかったことに、悲しみと怒りを覚えているのです。



東北地方を応援するためという行動で、東北地方の方々をこれ以上傷つけるのはやめにしませんか。



五山の送り火の時は、まだ、どういう市民の反応が出るかわからなかったことで、これは、東北地方の方も、受け入れ側の京都側の方の気持ちも、両方とも、どちらが悪いと言うことではなかったと思います。
しかし、この五山の送り火で傷ついた人々の気持ち(東北地方も京都の方々も、両方とも)を理解しようと努力をしていたのなら、今回のように全く同じことを繰り返すことはなかったのではないかと、思えてならないのです。


今。
『良かれと思ってやったのに、なにが悪いの?』
こういう事を、態度に出したり、言葉に出したり、思ったりする人が増えたように、実感します。
良いことと言うのは、その人の価値観で判断していること。
相手にとって良いことでなければ、それは、自己満足であり、ありがた迷惑以外のなにものでもないのです。

そして、そう言うことを指摘すると、『じゃあ、しなければ良いんでしょ!』と開き直る。
言わずとも、態度で・・・だったり。
その後、ややこしいことに巻き込まれたくないから、しなくてはならないことであっても、見て見ぬふりしたり・・・。


一言、声かけをすれば良いことだったり、相談さえすれば良いことでも、その一言がないから、相手に不快な思いをさせる場面は、日常でもたくさんあります。

*良かれと思って、そこに物を置いたのでしょうが、かえって邪魔になっていたり。
*良かれと思って、洗ってくれたのでしょうが、きちんと、そこのやり方に則っていなかったり。
*良かれと思って、片付けてくれたのでしょうが、次にそのものがどこに行ってしまったかわからなくなってしまったり。

そんなことが、たくさんあります。

うんざりします。

「ここに置くね。(ここに置きますね。)」
そう言う声かけで、「ありがとう。」と言う回答の他に、「今は、そこには置かないでください。」だったり、「では、あちらに置いてください。」だったり、あるわけですよ。

洗い物の話。
わかりやすく言うと、一般家庭の台所でも言えることでは ないでしょうか。
食器用のスポンジと、シンク用のスポンジと。
間違えて使われたら、気持ち悪いですよね。
一言、「洗い物したいけど、これで良いですよね。」と聞けば。

片付けの話。
親が自分の部屋を勝手に掃除して、物がどこに行ったかわからなくなり、ケンカしたという経験を子供の頃に持っている人は、多いのではないでしょうか。
物の片付けも、声かけなく片付けられたら、無くなったと思うかもしれない。
また、すぐ使う予定で、出したままにしている物かもしれない。
職場だったら、初めて仕入れた物だったりすると、片付ける場所も相談して、みんなに周知しておかなくてはならなかったりするかもしれない。
子供の頃の不快な気持ちを思い出せば、良かれと思ってしたことが、やり方によっては相手に逆の印象を与えることは、わかるはずなのに・・・。


会話や声かけ、相談などが本当に少なくなった・・・。
そんな日常に、うんざりしているから、このニュースを聞いたときに、「またか・・・。」と思いました。

「復興のためを思ってした行動なんだから・・・。(良いことなんだから、反対なんて想定外)」って、そんな気持ちが主催者側にはなかったのかな。


考えるのをやめた人が、日常の中でも本当に増えましたね。

もっと、考えなきゃ!
たくさんたくさん、いろんな事を考えなきゃ!
特に、行政がらみで動くことだったら、なおさら。
もっと慎重に。


市長も、半分“にやにや”しながら対応されていました。
また、商工会の方の1名が、 「想定外のこと。」とおっしゃっていました。


五山の送り火は、想定外だったかもしれません。
でも今回は、五山の送り火と同じようなこと、しかも、ほんの少し前に、同じようなことが起きているのに、何でもかんでも『想定外』で片付ける“最近の日本の風潮”
想定外=『上手な、大人の言い訳?』なのでしょうか・・・。 
そう思ってしまう。


想定外って言われると、なんだか開き直りを感じるんですよね。
同じ、予想出来なかったにしても、もう少し言い方があると思うのです。
「考えが足りず、申し訳ありません。」
「考えが、浅はかでした。」など、もっと言い方はたくさんあるでしょう。
想定外って一言で片付けられるより、悪かったって気持ちが伝わると思うのです。
まず、言葉って、文字だけでなく、そこに気持ちがあるかどうか。
気持ちがあれば、おのずと言葉に表れてくると思う。
くどいですが、文字だけでなく。


だから、本当に想定外なのでしょうか・・・。
そんな一言で、片付けられることなのでしょうか・・・。

想定外って言う言葉。
もう、使うのをやめませんか。





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